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東京生まれの作家、向田邦子さんは鹿児島を「故郷もどき」と呼び愛した。後ろめたさと愛着が混じり合った表現なのだろう▼父の転勤に連れられ、過ごしたのは小学4、5年の2年余り。そこで食べ物のおいしさを知り、たくさんの友や大人に出会い、本を読む楽しみを覚えた。<春霞(はるがすみ)に包まれてぼんやりと眠っていた女の子が、目を覚まし始めた時期なのだろう>。望郷の思いを込めて随筆につづっている▼この人も松江に住んだ期間は1年足らずだったが、強い印象が残ったそうだ。戦後日本を代表する写真家の奈良原一高さん(1931~2020年)は松江高校に3年時に転入し、卒業するまでこの地に暮らした。戦災を受けなかった城下町の風情と文化の薫りに癒やされ、芸術好きの仲間と画文集の発行に没頭したと伝わる。文化祭が初めて自作の写真を発表した場にもなった▼島根県立美術館で2日に始まったコレクション展に並ぶ作品は、本人が愛した地にと遺族から寄贈されたものという。過ごした時間は短くとも、ずっとファンでいてくれる。何とありがたく、心強いことか。これを「関係人口」と言うのだろう▼感受性が強い青少年期の体験は良くも悪くも記憶に深く刻まれる。子どもたちからすれば、親の都合で学校を変わることは楽しみばかりではあるまい。転校生を温かく迎え入れ、好きなことへの目覚めを導く山陰であれ。(史)