人は聞いてほしいようには聞いてくれないもの。同じことを話しても聞き手の考え方、価値観などにより変わってくる。だからこそ面白いのですが、私たちがどうなのかより、記者さんがどういう人なのかの方が分かるのではないでしょうか▼記者になって10年も満たない頃に取材相手から投げかけられた言葉。ある団体の活動を紹介する記事の取材を和やかに済ませ、後日問い合わせをしたメールの返事に書かれていてどきりとし、重圧が増した▼20年も前のそんな体験を島根大学で先日話した。大学と新聞社が結ぶ協定に基づく連続授業「ジャーナリズムと地域社会」でのこと▼一つ前の授業で学生五十数人が6班に分かれ、1人(教員か記者)に共同インタビューをし各自記事を書いた。その記事を講評する役目。同じ取材をしたのに一つとして同じ内容の記事はなく、まさに冒頭の言葉のようであった▼だから、複数メディアの情報に目を通そうというのが言いたいことの一つであったが、深い洞察を得た学生もいた。書き手次第の記事に記者の思いがこもることで読者にも熱意が伝わるのだろうといい、「その熱意は今の段階では人にしか生み出せないものだと思う。人がわざわざ現場に出向いて取材し、紙に書いて届けることは時代錯誤かと思っていたが、新聞の意義・役割に自分なりの答えが出せた」との感想をもらった。来年も頑張ろう。(輔)