前回東京五輪の聖火が島根県庁に到着したのは1964年9月22日。開幕の18日前だった。まだ「島根新聞」の題号だった本紙は翌日付1面のほぼ全面を使い<聖火 秋の島根路に燃える><感激にわく県庁前 歓迎式典に五万人>の見出しで伝えている▼写真は県庁前でトーチを掲げる当時の田部長右衛門知事の姿。この時代の松江市の人口は約11万人なので、市民の半数近くが出迎えたことになる。大変な注目度と熱気だったようだ▼聖火は前日に広島県から島根入り。当時の赤来町(現飯南町)で1泊。県庁で2泊後、24日に鳥取県に引き継がれた。この間、79区間、約138キロを正走者、副走者、随走者合わせて1800人余りがリレー。正走者79人の顔写真と聖火の通過予定時刻が紙面で告知された▼松江大橋を渡っている写真を見ると、ランナーはいずれも白のランニングシャツと短パン姿。白バイに先導され、整然と走っている。厳格なアマチュアリズムが求められた時代だったからだ。五輪はその後、商業化が進み、聖火リレーも様変わりした▼しかも今回はコロナ禍。感染が全国的に急拡大し、中国地方でも公道でのリレー中止決定が相次ぐ中、島根の番が来た。かつて五輪の純粋さに憧れた少年も、57年たてば「清濁併せ呑(の)む」ようになる。知事発言が一石を投じた今度の聖火リレーは、島根県民にどんな記憶を刻むのだろうか。(己)