「四十の手習い」で4年前、津軽三味線を始めた。30年ぶりに再会した同級生が教室を開いており、その気になった。バチをたたきつけるように弾く打楽器的な奏法が特徴。力任せに弾くのではもちろんなく、難しい▼先日、津軽三味線の巨匠・初代高橋竹山(ちくざん)(1910~98年)のドキュメンタリー映画『津軽のカマリ』を見た。幼い頃の病気で視力をほぼ失った竹山。津軽では三味線を習得し、人家の門口で披露する門付けをするしか生きる道はなく、物乞いとさげすまれる日々だったという▼湿気に弱い楽器で雨の日は弾けず、笛を覚えた。冬が長い土地で生きるために歩き、出した音が根底にある。竹山の三味線はまさに津軽のカマリ(匂い)がするからこそ、心を打つのだろう▼出雲市斐川町の樋野達夫さん(81)は、竹山との縁で笛作家になった。55年前、町内で企画した勤労者音楽協議会のステージに、竹山が所属したグループを呼んだ。三味線ではなく笛に引かれ、しつこく質問すると、笛が送られてきた。以来、独力で制作や演奏を続けて、風土とともにある生き方も伝える▼樋野さんの笛は全国に広がり、神名火(かんなび)山の麓の自宅には、著名人もやって来る。奏者としては神社のお祭りで、何度か拝聴した。神と人をつなぐ、出雲の地が生み出す音だと感じた。それぞれに土地の音があり、そのために選ばれた人がいることを、しみじみと思う。(衣)