旧加茂町などによって建立された加藤義成の顕彰碑=雲南市加茂町南加茂
旧加茂町などによって建立された加藤義成の顕彰碑=雲南市加茂町南加茂
「出雲国風土記」の研究に生涯をささげた加藤義成=孫の長谷川博史(はせがわひろし)・島根大学教育学部教授所蔵(きょうじゅしょぞう)
「出雲国風土記」の研究に生涯をささげた加藤義成=孫の長谷川博史(はせがわひろし)・島根大学教育学部教授所蔵(きょうじゅしょぞう)
旧加茂町などによって建立された加藤義成の顕彰碑=雲南市加茂町南加茂
「出雲国風土記」の研究に生涯をささげた加藤義成=孫の長谷川博史(はせがわひろし)・島根大学教育学部教授所蔵(きょうじゅしょぞう)

▽全国に調査、定本つくる

 奈良(なら)時代に編纂(へんさん)された地誌(ちし)「出雲国風土記(いずものくにふどき)」の研究に生涯(しょうがい)をささげ、第一人者との高い評価(ひょうか)を受けているのが、現在(げんざい)の雲南(うんなん)市加茂(かも)町南加茂出身の加藤義成(かとうよしなり)(1905~83年)です。

 義成は専業(せんぎょう)農家の長男として生まれました。当時の島根県師範(しはん)学校を卒業後、地元の小学校や旧制(きゅうせい)の三刀屋(みとや)中学校、益田(ますだ)農林学校、(改称(かいしょう)後の)島根師範学校の教員などを経(へ)て、島根県嘱託(しょくたく)職(しょく)員(いん)や島根大学非常勤(ひじょうきん)講師(こうし)を務(つと)めました。

 教壇(きょうだん)に立ちながら国語学や古典への関心を深めていき、「出雲国風土記」研究を「生粋(きっすい)の出雲人として、天与(てんよ)の使命と考え」ライフワークにします。

 全国各地に足を延(の)ばして、現存(げんぞん)する150ともいわれる手書きの写本(しゃほん)を写真に収(おさ)めて、一語一語を丹念(たんねん)に研究しました。

 それらを基(もと)に、1957(昭和32)年には本文に注釈(ちゅうしゃく)を加えた「出雲国風土記参究(さんきゅう)」を刊行(かんこう)。主著(しゅちょ)の「校本(こうほん)出雲国風土記」は全国に散在(さんざい)する写本の文章の異同(いどう)を示(しめ)したもので、「出雲国風土記」研究の定本となりました。

 病気を抱(かか)えながら、地道に長い年月をかけて風土記研究に情熱(じょうねつ)を注ぎ、主著以外にも「風土記時代の出雲」や「校注(こうちゅう)出雲国風土記」など、多くの著作を出版(しゅっぱん)しました。

 県文化財(ぶんかざい)保護(ほご)審議(しんぎ)会委員なども務め、1965(昭和40)年には第4回島根新聞(現山陰(さんいん)中央新(しん)報(ぽう))地域(ちいき)開発賞(しょう)の文化賞を受賞しています。

 亡(な)くなった1983(昭和58)年、自宅(じたく)近くの道路沿(ぞ)いに旧加茂町や有志(ゆうし)らによって顕彰碑(けんしょうひ)が建立(こんりゅう)されました。義成が生前、詠(よ)んだ「天(てん)平(ぴょう)の風土記のまゝにあらはれし 正倉(しょうそう)のあと 雨しつかなり」の歌が刻(きざ)まれています。

 この歌は、1978(昭和53)年から発掘(はっくつ)調査された「出雲国山代郷(やましろごう)正倉跡(あと)」(松江(まつえ)市大庭(おおば)町)の柱穴群(ちゅうけつぐん)を目の当たりにして「出雲国風土記」に書かれている通りの場所で再(ふたた)び姿(すがた)を現(あらわ)したことに感激(かんげき)し、その心象(しんしょう)を短歌にして詠んだものです。義成は78年度から3年間、調査指導(しどう)を行いました。

 正倉跡は「出雲国風土記」の記述(きじゅつ)と考古学の発掘調査成果が一致(いっち)した遺跡で、1980年、国の史跡(しせき)に指定されました。(重原伸一(しげはらしんいち))

 

◆加藤義成の歩み

1905年 現在の雲南市加茂町南加茂に生まれる

 24年 当時の斐伊(ひい)村尋常(じんじょう)高等小学校の教員になる

 57年 「出雲国風土記参究」を刊行

 83年 自宅近くに顕彰碑が建立される

 

▽うんなん出雲国風土記とは

 奈良(なら)時代、天皇(てんのう)から当時の約60カ国に対して、その地方の地名の由来(ゆらい)、特産物、土地の肥(こ)え具合(ぐあい)、山川原野(さんせんげんや)の名前、伝承(でんしょう)などを調(ちょう)査(さ)して報告(ほうこく)するよう、命令が出されました。各国の風土記は、それらの内(ない)容(よう)をまとめた書物です。

 「出雲国風土記」は、命令から20年後の733(天平(てんぴょう)5)年に完成しました。「古事記(こじき)」(712年)や「日本書紀(にほんしょき)」(720年)に匹敵(ひってき)するほど古い書物です。風土記が現在(げんざい)までまとまった形で残っているのは5カ国だけですが、「出雲国風土記」だけが、ほぼ完全な形です。

 古代出雲について、どの歴史書(れきししょ)よりもたくさんの情報(じょうほう)が記されています。神話や伝承では、朝鮮(ちょうせん)半島の新羅(しらぎ)や、各地から国のあまりを引き寄(よ)せ、つなぎ合わせて出雲国を大きくした「国引(くにび)き神話」が代表的です。