バスや電車を乗り継いで東北各地の集落を歩いて「覚えている昔話がありますか」と、一軒一軒の戸をたたいた。民話採訪者の小野和子さん(89)。1969年から50年にわたる採訪で録音したテープは千本にも上る。
岐阜県出身で、結婚を機に仙台市に移住。児童文学に関心を持ち、民話と絵本の市民団体に加わったのが活動のきっかけだ。肩書のない子育て中の主婦の訪問をいぶかしがられながらも、交流を重ねて語り手たちの人生に触れると、やがて語られる昔話が、事実に支えられていることを知る。
出来事を物語にして語ることは、災害や病苦、貧困、別離の悲しみを抽象化する高度な営みであり、痛みを受け止め、乗り越える知恵なのだ。だから語り手が「おら、この話が好きで」という民話からは、その人の人生はもちろん、語って聞かせた先祖たちの声も聞こえるという。
小野さんが歩みをまとめた著書『あいたくて ききたくて 旅に出る』は美しい一冊で、声を上げて泣きたくなる逸話もある。そんな小野さんが「語りの力」を再認識したのが東日本大震災だった。自身が立ち上げた「みやぎ民話の会」の語り手には「全部流されたけど、気が付いたら胸に民話があった。これを命綱に生きたい」と話した人もいたという。
大震災から生まれた物語もあるはずだ。語る力とともに、聞く力も求められる。節目の日、その語りに耳を傾けたい。(衣)