1年前の本紙1面は、新型コロナウイルス「国内感染1万人超え」に続き、競泳・武良竜也選手(米子北高出)の「7位入賞」が飾った。翌日は浜田市出身の陸上・三浦龍司選手の「日本新で決勝へ」が1面トップ。紙面は東京五輪の日本勢、地元勢の活躍でにぎわっていた▼コロナ禍の中、反対の声を押し切るようにして開かれた異例の五輪。「喉元を過ぎれば」の例え通り記憶から薄れつつあった「負」の側面が、組織委員会の元理事の多額資金受領疑惑で、また注目されている▼元をたどれば招致委員会の2億円超の資金を使った「票集め」疑惑もあり、もはや想定内の五輪を巡る闇。4年に1度の祭典は巨大なイベントとして捉え、中身をこちらでより分けながら楽しむほかなくなった▼「大きな運動会でしょ」。スポーツがその枠を超えて論じられるとき、経験も自信もなかった新米の運動担当として救われた言葉を思い返す。国体取材で要人警護のため規制が多く辟易(へきえき)とした他紙の記者の一言だったが、肩の力が抜けた▼解釈はいろいろできるが、言い得て妙。応援を背に勝ったときの喜び、負けたときの悔しさが運動会にはあった。その大きなものが世界や全国の大会なら、なおさらだ。スポーツの夏。今なおコロナ禍に邪魔され、「楽しもう」などと楽観的なことは言えないが、選手の頑張りをたたえ、震える心の準備はしておきたい。(吉)