実体験がなくても、当事者から話を聞かせてもらうことで新聞記者の仕事は成り立つ。いわゆる耳学問。時には感情を移入して、経験したような気持ちで書く。後になって自らも経験し「こういうことだったか」と感じ入ることが少なくない。先日、先輩との雑談で「『記者あるある』だよなあ」とうなずき合った。
入社以来初めて長期休暇を取り、立ち会った母親の看取(みと)りは「あるある」の連続だった。
苦痛や不快感で寝られず意識の混乱からつじつまの合わない話をするようになった時、つい𠮟った。元気な頃の「あの母が」と比べてしまいショックをそのままぶつけた。強い口調で「駄目」と否定し、しばしば顔をしかめられた。
かつて介護、医療現場の取材で、知識、経験とともに後悔や自責の念のにじむ話を聞かせてくれた専門家や家族会の人たちの顔がいくつも浮かんだ。「しまった」と思うたびに「あなただけじゃない」と励まされた。
そして緩和ケア。ある医師に「終末期に限らず、診断を受けた時から始まる」という考え方を教わったのを思い出し、いつか来る時と向き合えた。「いよいよ」と身構えることもなかった。本人の希望や尊厳を最優先に、家族も支える。昼夜を問わず、そんな営みを続ける医師や看護師らの姿に頭が下がった。最期まで頑張った本人にも多くの人たちにも温かな感謝の気持ちで、しみじみと別れの夜は更けた。(吉)