なぜ判断材料の一つにせず住民投票を避けようとするのか不思議だ。結果が自分たちの考えと同じなら確信が持てるだろうし、不安や迷いが思ったよりも多ければ、さらに理解を得る努力をすればいい。投票を行う過程で、住民の意識や知識もより深まる▼島根原発2号機の再稼働を巡る住民投票の話だ。松江市など4市で出された直接請求は先日、各市議会でいずれも否決された。「市長や議員が責任を持って総合的に判断すべきだ」などが主な理由。住民の判断力は信頼されず「市長や議員よりも劣る」と思われているのだろうか▼ただ考えてほしい。再稼働の是非に限らず原発の問題は、通常の予算審議などとは異なる。万一のことがあれば住民の命と健康に関わり、住み慣れた土地を離れることにもなりかねない▼これに対し首長や議員が責任を負えるのは任期中。長くても4年以内だ。選挙で顔触れが変わるたびに審議をやり直すわけではあるまい。一方、住民には任期はなく、大半はそこに暮らし続ける。より丁寧に民意を確かめるのに越したことはない▼代議制民主主義は万能ではない。原発再稼働の賛否を明確にして市長や議員になった人ばかりではないし、その問題だけが選挙の争点だったわけでもない。民主主義は、もともと手間のかかるものだ。その手間をいとえば形骸化を招く。「回り道」をした方が信頼につながる問題もある。(己)