祖母と歩いた四十二浦の記憶をたどる小川幹雄さん=2019年10月
祖母と歩いた四十二浦の記憶をたどる小川幹雄さん=2019年10月

 <ゆびをもて 深さたしかむけさの雪>。会葬の場に、故人が生前詠んだ句が掲示されていた。前の島根県視覚障害者福祉協会会長の小川幹雄さんが亡くなった▼享年80歳。盲学校の教員を長く務めた。また、あんまマッサージ指圧、はり、きゅうのいわゆる「あはき業」の発展に尽くし、その道では全国的に知られた人である▼当方にとっては、眼病治癒を願って竹筒へ潮を汲(く)み、土地の寺社を巡ると願いがかなうとされた江戸時代からの風習「島根半島四十二浦巡り」を、本来の目的で貫徹した最後の「証人」であった。終戦から5年余りたった小学校1年生の頃。孫の開眼を願う信心深い祖母に連れられての初めての旅だったという▼切り立った岩場にかろうじて造られた道は、足の踏み所を間違えると海原へ転落する命懸けの厳しい行程だった。一方、知り合いがいない土地では、偶然声をかけられて漁協の組合長の家に泊めてもらうなど、浦々の人の温かい心に触れた。4年前の取材帳を読み返すと、「目は良くならなかったけれど生きる力を与えてもらった」という小川さんの言葉を書き留めた部分を、赤丸で囲んでいた。「観光」とは、まさにこのことを言うのだろう▼点字翻訳を通じて小欄を読んだと、電話で励まされたこともあった。こちらも生きる力を与えてもらった。ひつぎの中には、話を伺った際と同じように安らかな顔が見えた。(万)