湯浅 啓温
湯浅 啓温
湯浅啓温の人生を描いた漫画
湯浅啓温の人生を描いた漫画
湯浅 啓温の歩み
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湯浅 啓温 湯浅啓温の人生を描いた漫画 湯浅 啓温の歩み

イネや大豆の被害防ぐ

 皆(みな)さんは昆虫(こんちゅう)が好きですか? これから夏を迎(むか)えると、野山はにぎやかになります。チョウが舞(ま)い、セミが鳴き、かっこいいカブトムシやクワガタを取りに出かけるのも楽しそうですね。

 今の浜田(はまだ)市旭(あさひ)町本郷(ほんごう)に生まれた湯浅(ゆあさ)啓温(ひろはる)(1900~53年)も、子どもの頃(ころ)はそんな昆虫大好き少年でした。住んでいたところは、とても自然が豊(ゆた)かで毎日のように出かけ、虫取りで野外を駆(か)け回っていたそうです。

 彼(かれ)の虫好きは、世の中の役に立つことになりました。昆虫は全部が全部、かっこよくて、かわいいわけではなく、気持ち悪いものだっているし、人にとっては農作物を食い荒(あ)らす「害虫」だっています。啓温は特に害をもたらす虫がどんなふうに生きているのか詳(くわ)しく調べ、被害(ひがい)を防(ふせ)ぐため、世界で初めて「害虫学」という学問を示(しめ)しました。

 1925(大正14)年に現在(げんざい)の東京大学農学部を卒業し、農事試験場というところで働き、そこでも昆虫を観察し、調べていました。その頃はまだ、農業と関連付けて昆虫を研究するというところまでは進んでいなかったようです。

 35歳(さい)の頃、突然(とつぜん)変化がやってきます。茨城(いばらき)県でサヤタマバエというハエが異常(いじょう)発生し、次々と大豆に被害をもたらしました。啓温は現地(げんち)に行って、このハエの特徴(とくちょう)を詳しく調べ、報告(ほうこく)しました。農家の人たちはみんな苦しんでいたんですね。報告に全国各地から反響(はんきょう)が続々と来て、あまりの多さに驚(おどろ)いたそうです。

 啓温は、その後のイネカラバエというハエの研究で名を残すことになります。このハエはイネの葉に潜(もぐ)り枯(か)らしてしまうのです。被害を抑(おさ)えるにはどうしたらいいのか。品種、栽培(さいばい)の方法、田植えの時期、気象(きしょう)など、あらゆる面からイネカラバエの活動に影響(えいきょう)をもたらす物事を調べていきました。

 そして「イネカラバエに対するイネの抵抗性(ていこうせい)に関する研究」という論文(ろんぶん)を書いたのです。そうした成果もあって、被害は少なくなったといいます。イネカラバエに強いイネの品種が栽培されるようになったのに加え、田植えの時期を早めることで、このハエが悪さをしにくくなりました。

 啓温の熱い昆虫愛は衰(おとろ)えることなく、天皇陛下(てんのうへいか)に農業と害虫について説明したり、昆虫雑誌(ざっし)も発刊(はっかん)。ポケットにはルーペを入れ、いつでも昆虫を調べられるようにしていたそうです。しかし53歳で亡(な)くなりました。医療(いりょう)が未発達だった当時としても、まだ若(わか)く残念な死でした。